「ヨリ君、ヨリ君。君はこれどう思うよ。」
「これってダムのことですか。」
「そう。だいたいおかしいと思わんかね。」
「どこがですか。」
「つまりね、57年間も無くてもそんなに大きな問題もなかったものが、中止するからって大問題だって騒ぐことさ。」
「言われてみればそうですね。」
うちの住民達がまたいつものようにテレビに向かって文句を言い始めておる。
「この前また観測以来最大とか言う台風が来ただろ。あのとき流域地域はどんな被害が出たのかね。
まあ、それはともかく、本当にあのダムがなければ大変なことになると言うのならばああいう時には、
ダム建設賛成自治体の首長たちは、ここぞとばかりに避難勧告など大騒ぎするべきじゃないのかね。
あのダムがないために流域住民は夜も眠れないってね。」
「そうですね。でも、あすこまで作ってしまったわけだし今更中止するのももったいないんじゃないですか。
それに、ダム湖に沈む村の人たちのこともあるし・・・」
「そのね、ダム湖に沈む村の住民たちへの同情ってのもおかしんだよ。」
「へえ」
「だってね、あの地域の住民は、みんな初めは反対していたんだよ。そりゃ長い年月戦ってきて
もうたくさんって気持ちも解らないではないけれど、でもねやっと自分たちの土地を守ることができたんだよ。
それなのに、もう土地よりお金の方がいいて言うんだろ。」
「それはどうだか・・・」
吾輩にはもちろんどうでも良い話なのだが、相変わらずこの二人の話は面白い。最近この日本という国は、
政権交代とやらをしたそうで世の中がどこかぎくしゃくしておる。このダムの話ももう60年近く前に起きた
台風の被害を繰り返さないために計画されたらしいが未だに出来上がってはおらず、それどころが世の中の水事情も
ずいぶんと変化してきており本当に必要なものなのかと言うことで今度の政権はこれを建設中止としたらしい。
「先生は、当事者ではないから気楽なことが言えるんですよ。たぶん実際ああいう立場に立たされたら
どういう形でも良いから早く決着してくれってなると思いますよ。」
「まあ、それはそうかも知れないが。でもやっぱり土地転がしのためにあの地域に引っ越していった奴もいるなんて話を
聞くとちょっと同情できんのだよ。」
この先生と呼ばれた男がどうも本当のこの家の主のようである。とにかく一番威張っているように吾輩には見える。だが吾輩に餌を良くくれるのはヨリ君という女の方である。だからもしこの家が洪水で流されると言うようなことがあったら
吾輩は迷わずヨリ君についていこうと思っておるのである。
- 2009/10/27(火) 22:33:47|
- 猫
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吾輩はぶんぶんである。と自分で言ってみてもこの名前は、自分で付けたわけではない。
自分で付けたわけではないのに自分の名前と思っていると言うことは、考えてみるとちょっと
おかしいかも知れない。およそ人間達の世界にはものに名前が付いているようであるが、もし
ものに名前がなかったらどうなるであろうか。実は名前がないと言うことは、存在しないと言う
事と同じなのである。存在しないというとちょっと解りにくいが、ようするに特定しかねると言う
ことなのである。
ものとは名前が付く前には無限の広がりを秘めているものである。しかしこれが一旦名前が
付いてしまうとその無限の広がりは、閉鎖されてしまい。有る特定のものとしての存在でしか無
なってしまうのである。たとえば「りんご」があるとして、これをりんごと名付けるともうそれはりん
ご以外の何者にも成れないのである。
昔の人は、この「名前」のことを「呪」と言ったらしいが、名前とは、このような物にかけられた
呪いと同じなのである。そして吾輩は「ぶんぶん」という「呪」をかけられた。
だからもし吾輩が本当に自由にあろうと思うのならば、吾輩は「ぶんぶん」と呼ばれているが
「ぶんぶん」では無い。しかし「ぶんぶん」とは吾輩のことである。とややこしい話になるのである。
だから吾輩は、同居している人間が「ぶんぶん」と呼んでも気が向いた時しか返事をしないの
である。無視していると人間は、次第に声を張り上げ必死になって呼んでいる。これは、また見て
いるとなかなか滑稽である。しかしあまり無視しているといきなり抱き上げて説教するので困った
ものである。だいたい吾輩は、抱かれるのもあまり好きではないのだ。
話は変わるがこの「ぶんぶん」と言う名の由来だがこれは吾輩のシッポが普通の尾の長い猫の
半分くらいしかないかららしい。この前、うちに遊びに来た同居人の知人がやはり吾輩を見て驚
いたように「この猫ちゃんシッポどうしちゃったんですか」と叫んだのであるが、どうも吾輩のシッポ
は、単に短いと言うより半分にちぎれたように短いのである。そんなこと人間に言われるまでちっと
も気にしていなかったのだが。まったく人間というものは、自分にわからないことがあると不安に
なるらしい。だから「名前」なんてモノも考えだしたのだろう。わからないことは解らないまま放って
おけばよいのだ。それがどんなに素晴らしいことか、人間達は吾輩達の寝顔を見て気づくのであろう。
- 2009/09/30(水) 23:20:02|
- 猫
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「吾輩は猫である」とかの先生は、吾輩の一人称を「吾輩」とした。しかしそれで良いのかとふと疑問に思ったので他の一人称を考えてみた。「わたし」と言うほど吾輩は、落ち着いてもおらず「ぼく」と言うほどガキでも無いつもりである。また、「あたい」や「あたし」などでは、吾輩はオスであることから抵抗がある。「ミー」・・・。「me」うん、これならば猫らしい。しかし「ミー」というとどこぞの「おフランス帰り」みたいで、ほら吹き親爺のイメージがつきまとう。それに第一わが輩の声は「ミー」ではない「うにゃ〜」である。それも「に」に濁点を着けたような。結局「おれ」なんて言うのが案外適しているのかもしれないが、これも今一しっくりこない。「おれ」という言葉は連発すると詐欺と間違われる。それにだいたいどこか相手を威圧するような雰囲気がある。今こうして話している言葉自体が威圧的なのだから、人称まで威圧的だと孤立するばかりである。
結局吾輩は、吾輩のことをどう呼べばよいのか迷ったあげく「吾輩」に落ち着かざるを得ないのかも知れない。そう、名前を言ってしまうという手もある。わが輩の名は「ぶんぶん」である。名が無いわけではない。
- 2009/09/26(土) 07:58:12|
- 猫
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最近、と言ってももう3ヶ月以上経つのだがモウモウが時々くしゃみをする。
「猫インフルエンザでは?」などとふざけたことを言っていたが
日に二・三回のことでまったくしない日もあるものだからそれほど深刻に考えないでいた。
しかし、それでも朝などベットに飛び乗ってきて顔の周りをうろうろしている時に
「くしゅん」とやられるとたまったものではない。もう一匹の猫ブンブンの方には何も
兆候がないので伝染性のものではないだろうと思っていたが、あまり長いこと「くしゅん」と
やっているので、やはり病院に連れて行くことにした。
診察の結果は、病名はややこしいので覚えていないが、ようするに
風邪など引いた時の菌が鼻の奥に残ってしまいそれが時々くしゃみを起こさせるようで
いわゆる鼻炎と言うことだった。
そんなわけで処方してもらった薬を一週間ほど着けているが回数は減ったもののまだ時々
くしゃみをしている。それにしても猫というものは自分の欲求が通らないと実力行使をするものだが
この朝のくしゃみは、「早く餌をくれ」という要求行動なのかも知れない。
何しろ顔の前でくしゃみをすれば、その人が飛び起きることぐらいとっくに学習してしまっているだろうから。
ちまたでは新型インフルエンザで大騒ぎであるが、騒いでいるのはテレビの中ばかりで
いまいち現実の世界、つまり私の身の回りでは、影が薄いように思われる。まあ、私の住んでいる地域のせいと言われればそれまでだが。
しかし影が薄いことはよいことなので、このまま何事もなく月日が流れて行き場良いと思うのである。
皆様も油断無きように。
- 2009/09/15(火) 17:35:22|
- 猫
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先日軽トラックが壊れました。
昭和の車で知り合いから車検無しで4万円で買ったものです。
買ってから10年くらいになりますが
大きな故障もなくここまで来ました。
が、ついにブレーキに異常が出たもので
これを機会に買い換えることにいたしました。
買い換えるとなると、つくづく良く乗ったと思います。
- 2009/07/29(水) 21:00:42|
- 雑話
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