2007年がもうすぐ終わるので取りあえず何か書いております。
最近このブログの運営会社、何かとサービスを充実させたため
ブログの記事を書くサイトにアクセスするのにすぐエラーになってしまう。
ブログなんて書こうと思ったときにすぐ書かなければ冷めてしまうものですから
最近は、めんどくさくて仕方有りません。
そろそろまた別のブログに引っ越したくなってきました。
今年は年賀状を書きません。
書く気がしないからです。
過去にも何回もそう言うことがありそのたびに年賀状が来る枚数が減りました。
それはそれでよいことですが、いつの間にか
新しい知り合いが出来てまた来る年賀状の数が増えていきます。
メールで済まそうという人も増えてきましたが良いことだと思います。
滅多に会わない人やほとんど音信不通の友達などは戴くと有りがたいとは思うのですが
すぐお会いする人の場合わざわざ出さなくてもとと何時もおもってしまいます。
今年はろくに掃除もしなかったし、今日までしっかりはたらいていたし
明日も一応仕事はあるし、正月っていったいなんだという感じが今年は特に強いです。
だいたい世の中もそんなに正月の雰囲気はないし、松飾りなど一般のうちでは探す方が大変ですね。
最も松飾りは、正月様氏神様や祖霊などですがそれらが訪ねてくるときの依り代なわけで
神道を信仰していなければどうでも良い物ですが・・・。
それでも大晦日には、仏教に帰依して除夜の鐘を突き、年が明ければ神道に帰依をして
初詣を行い、お年玉や年始の挨拶で儒教の信者になるわけですからどうでも良いことなのでしょうが。
何も宗教など信じなくても良いですが、
宗教無しでは日本人は生きていけなくなっていることは事実のようですね。
何も知らずに宗教行事とともに一年間暮らしているわけですから。
ちなみにお寺に初詣に行くのは本来間違っております。
日本仏教の宗派の中には、現世利益をうたった所もありますからそう言うところは大々的に
初詣を受け入れますが、本来寺は修行の場ですので、初詣など相手にしないのが本当の姿です。
そしてそう言う寺も多いです。
初詣ついでに言っておくと明治神宮は、毎年多くの方が参拝しますが
何が祀られている知らないで拝んでいる人が非常に多いようです。おめでたいものです。
来年になると食料品その他諸々が軒並み値上げいたします。
もう何十年も前から石油に依存していればこういう時代がやってくると言うことは、
判っていたことでした。現状の生活を続けたいのならば、出来るだけ石油の無駄遣い
をしないようにするしかないような気がします。
バイオガスなんて馬鹿げたことを始めたもので世の中どんどんおかしくなっていきます。
バイオ燃料を今の石油のだいたいに完全にするのであれば、今度は食事を我慢しなければなりません。
そんなに大量のトウモロコシを生産する土地は地球上には、無いと思われます。
またバイオエタノールを生産するのに燃料が必要なわけで生産されて純粋に新たな燃料として
使える量はかなり少ないようです。
とにかく今世界は、大きな転換期に来ているような感じがします。
日本もはたして後何年国として存続できる事やら、、、、。
思ったことを何の資料も開かず殴り書きしておりますので疑問点が有れば
どうぞご自分でお調べください。
このまま鵜呑みにして人から「嘘つき」と言われても責任負えません。
それでは皆様良いお年を。
- 2007/12/31(月) 20:53:47|
- 雑話
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横笛という話。簡単にあらすじを書くと
とある地位のある人の家来が、ある時絶世の美人に出会います。
その人のことが忘れられず、ついに手紙をその女性に送ると
女性の方でも受け入れてくれて二人はよい仲になります。
ところがある日男の父親があんな女と付き合ってはいかんと
もし、別れなければ勘当だと言われてしまいます。
男和泣く泣く女を諦めることにして最後の一夜を女のところで過ごしますが、
女には今日が最後と言うことは打ち明けません。
そのため女はその日を境に男がやってこなくなったため
とても哀しみ色々と男の情報を集めます。
そのころ男は、世をはかなんで出家して坊さんになってしまいました。
その話を聞き女は、男の寺までやって来ますが、男は、会いたい気持ちをぐっとこらえて
姿を見せず門の内と外だけで歌のやりとりをして、女を強引に帰します。
そのため絶望した女はそのまま川に身を投げて死んでしまいます。
それを知った男は、泣いて女の死骸に抱きつき、その後女の供養をしました。
あまり簡単ではありませんがだいたいこんな話です。
何となく現在の恋物語の原型がすでにこの時代に出来上がっていたような気がしました。
ちょっと設定を変えたり話を膨らませてありきたりのエピソードを二、三入れれば
すぐにトレンディードラマが出来上がるような気がします。
ただその味付けをして美味くなるところがプロの脚本家の腕の見せ所でしょうが、、、。

- 2007/12/29(土) 21:15:16|
- 御伽草子
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御伽草子の中に浦島太郎の話も載っております。
浦島伝説自体はあちこちにあって、また他の説話集にも異説が取り上げられておりますが
御伽草子に載っているものは、現代よく知られている話とはちょっと違います。
簡単にあらすじを話すと、浦島太郎が海で釣りをしていると一匹の亀がかかります。
これをかわいそうだと海に逃がしてやると、後にこの亀が女に化けて太郎の前に現れ「船で漂流しておりました。助けてください」と太郎に故郷まで送り届けることを要求します。
太郎は仕方なく船を漕ぎ女の故郷目指します。そこが竜宮城でした。
ここまで来たら女は、私と夫婦になってくださいと訴え太郎と夫婦になり三年がたちます。
太郎は、故郷の者に結婚して幸せに暮らしていることなど伝えたいので一度里帰りすると言います。
すると女は、今返るとこの世の別れになるかもしれませんと私の身代わりと思って一つの箱を渡します。
ふるさとに帰ってみると竜宮の三年は、この世では何百年にもなり知るものは一人もおりませんでした。そこで形見の箱を開けると紫の煙が出てきてあっという間に太郎は、老人になりました。
実は、この箱には、太郎が本来取っていたはずの歳が封印されていたのでした。
そしてその後太郎は鶴となって亀に戻った女と仲良く神様になりました。
と言う話です。
どうやら太郎は、亀は万年の亀時間に付き合っていたために竜宮にいる間は、歳を取らなかったのではと言う感じです。また締めくくりは鶴亀のめでたい話になっております。
この当たりからも助けられた生き物が亀というのは、必然的な物だったのではと言う気がします。

- 2007/12/25(火) 22:08:57|
- 御伽草子
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御曹司義経は風にまかせて船旅を続けました。八十日あまりしてまた新たに島が見えてきました。三十人ばかりの人たちが浜辺におりましたがなぜか皆裸です。
「この島は何島か?」と問うと
「ここは、かしまと申し隠れ無きはだか島です。」と答えます。
「何かのまじないか、神のお告げか何かでこのようなわけなのでしょうか?」
「いいえ、ただ昔からのならいでこのように裸なのです。」
そして島民達が、「風吹けば寒くはあれどはだか島麻の衣のやうを知らねば」と歌うのを聞き義経は、船で南に向かいそこで上質の着物を大量に織らせてそれをはだか島の人たちに与えました。
はだか島の人々は大変喜び喜見城まではまだ遠いですからこの島でお暮らしなさいと言うのを義経は、断ってまた船に乗り北を目指します。
次ぎにたどり着いた島の浜辺をうかがってみるとどこからともなく2〜30人の女が現れました。女達は喜びの声を上げて義経を取り囲みます。
「あらうれし、島の守り神がいらっしゃいました。」
「何事ですか、みなさん。まず話を聞かせてください。」
歓喜に満ちた女達に囲まれて義経は問いました。
「何年か前にも、男が三人渡ってまいりました。その時もその男達を切り刻み皆少しずつ家に持ち帰り守り神としました。今回もあなたを切り刻むのです。」
そう言ったかと思うと矛を構えて義経に飛びかかろうとします。
「少し待ちなさい。そうだその前に皆さんに笛を聞かせましょう。」
そう言うと義経は、腰のたいとう丸という笛を抜き出し色々な曲を吹いて聞かせました。
「なんとすばらしい音色だ事。島の守りにはしたいのだけれども、この笛の音も何時までも聞いていたい。」
女達はそう言って矛をうち捨て義経の笛に聞き入りました。
頃合いを見て義経は、
「私の国、日本国は、やがて蒙古退治に10万の兵が海を渡ります。その時この島に立ち寄らせましょう。一人を切り分けて守りとするよりも、一人の女が一人の男を夫として持った方がずっと良い守りになるでしょう。」
「まったくその通りです。」
女達も義経の提案に納得しようやくうち解けました。
しかしなぜ女ばかりで子孫が出来るのか不思議と問えば女達は、
「なぜか解りませんが、ここから南に南州という国がありそこから吹いてくる風に当たると私たちは身ごもるのです。そして生まれてくる子供はなぜか女ばかりなのです。ここは、女護の島と言います。」
そして義経は、いずれ男達を渡らせることを約束してまた北へ旅立ちました。

三十日ほどしてまたある島に着きました。
見ると扇の丈ほどの猫達が三十ばかり現れました。
「この島は、何島ですか。」と問うと
「ここは、かくれもなき小さ子島と申します。またの名を菩薩島と申し毎日極楽より二十五の菩薩がやって来て管弦を奏で香を焚きそれは、すばらしい島でございます。また寿命も長く皆八百年も生きております。」
義経もこの菩薩の来迎を拝みたいと思い一日この島にとどまりました。それはこの世の極楽のような一日でした。 つづく
- 2007/12/24(月) 08:00:10|
- 猫の絵
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御曹司義経は、十三の湊を旅立ちて通り過ぎたる島々は、ころんが島、大手島、ねこ島、いぬ島、まつ島、うし人島、おかの島、とら島、かぶと島、たけ島、もろが島、ゆみ島、鬼界が島、蛭が島。
およそ七十五日を費やしました。そして今日ようやく一つの島に上陸しました。
渚に出てみると背の高さ十丈(およそ三メートル)もある人たちが集まってきました。
腰より上は馬であり下は人という不思議な出で立ち。そしてよく見ると腰の当たりに皆、太鼓を付けている。
義経問う
「島人達よ、この島は何という島でしょうか?」
すると島人が、
「ここは、王せん島と申します。有名な馬人島とは、ここのことです。」
「そうですか、ところで皆さんが腰の当たりに付けている物は何ですか?」
「これは太鼓です。」
「何のために付けているのですか?」
「我々は、背があまりに高い物で、転んでしまったときに起きあがることが出来ません。助けを呼んでも声が届かないときにこの太鼓を鳴らして知らせるのです。」
義経は、馬人達とうち解けてしばらくの間旅の話などしておりましたが先を急ぐ物でもありあまり長居も無用とまた舟に乗り旅立っていきました。 つづく
現代の小説であれば、馬人島で一波乱と言うところでしょうが、御伽草子はあっさり流して次ぎえと話が進んでいきます。
しかし、転んだら一人で起きられないので太鼓で仲間に知らせるなど、なかなか面白い発想だと思います。
現代の作家の作品でも、よくこの人はどういう頭をしているのだろうとその奇抜な発想に感心することがありますが、実はそれらが、すでに江戸時代以前のモノの焼き直しと云うことが多いと云うことに最近気がついてきました。
なお、御伽草子の挿絵はもちろん本来猫ではありません。こういう擬人化は、現代でもよく見られますが大元は、鳥獣人物戯画で有ろうと云われます。
しかし江戸時代になると、こういった擬人化は、大変多く行われたようです。
中でも十返舎一九の作品には、道具が忠臣蔵をやると言うモノがあります。体は人間ですが顔は皆台所用品の何かというへんてこな物です。
動物に置き換えるぐらいなら当たり前ですが、道具に忠臣蔵をやらせてしまう当たり十九の非凡さを感じます。
- 2007/12/20(木) 07:47:48|
- 猫の絵
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言葉の解説御曹司・・・貴族の子どもにいうことが多く、源氏の子どもにいうことが多いらしい。
特に源義経を指すことが多い。この場合もそう。
秀衡 ・・・奥州藤原氏。義経が身を隠していた。兄、頼朝に追われたときも匿った。
喜見城・・・本来、天上界の帝釈天の居城のこと。ここでは、遙か海の向こうの別世界の国の名前とした。
大日の法・・・仏教における根本仏大日如来の名を宛てた最高の法。大日如来は、
別名毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)と言い東大寺の大仏もこれ。
言葉では説明不可能なので、簡潔に説明することが出来ません。
津軽十三・・・以前栄えた港町であったが水害で水没されたといわれる津軽の港。
昭和になって東日流外三群史(つがるさんぐんし、と読む)と言うとんでもない
偽書事件が起きた。
以前ダッタン人に義経人形を見せると卒倒するという話がありました。ダッタン人=モンゴル人ですが、その時朝青龍に義経人形を突きつけろと言う話がありました。
今度は「かねひら大王」です。かねひら大王に会うと亀が卒倒するという話ではありませんが義経は、現在話題(だった)スポーツ選手に縁が深いようです。
- 2007/12/11(火) 21:07:08|
- 御伽草子
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御伽草子より「御曹司島渡り」
御曹司義経が、平泉の秀衡もとに居たときの話。
「私はこれから都に上り天下を治めようと思うがいかがなものだろう」
「この国を治めるには、ただ力ばかりではいけません。」
「さすればどうすればよろしいか」
義経問えば秀衡答えて、
「この国から北へ海を渡ってまいりますと、蝦夷とも千島とも申す島がございます。
その中に喜見城という都がございます。そこのかねひら大王という王の内裏に「大日の法」
を記した巻物がございます。この巻物に記された秘法を使えば日本国はもう意のままです。」
とのこと。
しばしの間義経は、思案をしていたがようやく決意を固めその巻物を取りに行くことにしました。
津軽十三(とさ)の港より舟を出し喜見城へと旅立っていくのでした。
さてこれからどうなる事やら、、、お話ではありません。完結するまで根気が続くだろうかです。
- 2007/12/10(月) 22:52:40|
- 猫の絵
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ようやく毎日霜の降る季節となりました。
モーモはおなかの中に霜が降っているようです。
今まで離れて寝ていた二匹もようやく猫団子になりつつあります。
師走というとあちらこちらで電飾が流行っております。
ちょっと前までは、無駄だ、もったないと思っておりましたが
最近は、これはこれで良い物だと思うように変化してきました。
考えてみれば無駄遣いは他にもっとたくさんある。
木を傷めるとかいう話もありますが、それについても他にもっと木を傷めることがたくさんある。
少なくとも電飾は、暗い夜道を歩いているときに出会うと
どこかほっとする物があるように思います。
こういう無駄遣い(無駄遣いと言ってはいけないですね)
は有ってもいいなという気がしました。
ただ、あれはわざわざ見に行ってはいけないような気がします。
わざわざ見に行きたくなるような電飾は、たいてい下品です。
思いがけず出会うところに良さがあるような気がしております。
- 2007/12/07(金) 07:06:44|
- 化物
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最近覚えた漢字の読み方。
「云々」これで「うんぬん」と読みます。
「以下省略」とか「何々・・・」と言うときに使う言葉。
これが意外と便利。めんどくさくなったらすぐ「云々」。
「でんでん」と読む人もいるかもしれない。それもまた面白い。
とにかく「以下省略」とか「何々・・・」等よりも血の通った言葉のような気がします云々。
- 2007/12/03(月) 14:43:02|
- 雑話
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